この「正常」という曲を作ってたときに考えてたこと。
説明されてしまうことは問題ではない。
前衛をやるにあたって、自分では説明できないけど気持ちいい未知をやるのは前提。
ただし、それは誰にも説明できないものである必要はない。
誰かにとっては当たり前で、分析をしたらシンプルで、ということは普通にありえる。というかありえないはずがない。
だからどうなってるかわからないけど気持ちいい、という感覚のジャッジは自分でやらなくちゃいけない。
誰かに判断してもらうと濁る。
ライトなAさんは説明できないし気持ち悪いと言う。博識なBさんは説明できるけど気持ち悪いという。分析家のCさんは説明できるし気持ちいいという。こういう意見がバラけるのは当たり前。
音楽に詳しい人、感覚が鋭い人、インプットが半端ない人、許容範囲が広い人、何が秀でてるかにより反応も分析も異なる。
だから、自分にとっての未知であればいいしそれをアウトプットすることでひとつの未知をクリアできる。
なんなら感情だって未知でいい、そうなると音楽はかなり変わってくる。
こんなにわかりやすい進行でこんな感情になるなんて、というのもありえる。
年齢、環境、考え方、悩み、幸せ、シチュエーションなどにより、これまでにない感覚になる可能性はおおいにある。
となると、変な音楽やバグった音楽だけが前衛とも限らないわけだ。
そうなるとすごくおもしろいし、そういった未知の体験はぜひたくさんしていきたい。
であれば、今この瞬間の自分にとっての前衛というのは出し惜しみしちゃダメで、出さないと次の前衛や未知の感情と出会えないと思う。
軸は自分の感情においておけば今の前衛に固執することなく新しい音楽が作れるのではないか。

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前衛とは(たぶんその1)